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皆さんの中でもう遺言が準備できているという方、手を挙げそして誰にお金を残していいか思いつかない人はピースハウスホスピスに私の財産は全部あげますという遺書を残されるといいでしょう。
岡安 私は家内宛に遺書を書いたのですが、家内のほうが先に亡くなってしまったのでそのまま残っています。
Andrew 遺書は一回書けばいいというものではなく、状況に応じて何回も書き換えていくということが大事です。遺書に積もった懐を吹き飛ばして、いまの自分のニーズに合った内容になっているかどうかを時々確認する必要があるでしょう。
最後の24時間の症状や兆候
西立野 話は元に戻りますが、最後の24時間に気を付けるべき症状や兆候は何でしょうか。
Andrew Wendyが先ほど最後の24時間の症状・兆候について話しましたが、必ずしもこれが全部出てくるわけではありません。最も重要なものとしては?経口摂取量が減る、つまり食べ物とか飲み物に関心がなくなってしまうということだと思います。?意識レベルが落ちるということがいつもではありませんけれども頻繁に認められます。それから?身体の末梢の部分が冷たくなる、?呼吸が速くなる、頻呼吸のみならず呼吸がイレギュラーになってしまうということも挙げられます。?末期の胸部の感染も出てくる、あともう一つ大変興味深くそして重要なこととして患者さんがよくいわれることですが、?もう最悪の気分、非常に気分が悪いというようなことを言います。なぜそのように思うのかその機序はわからないのですけれども、心拍出量が落ちてきていることと関係があるのかもしれません。
死が差し迫っている人でそれまでずっと痛みがあってペインコントロールが必要であった人については死の時までペインコントロールが必要である場合がほとんどです。また死の差し迫っている人は呼吸困難が激しくなる、これももし可能であれば緩和してあげる必要があります。それからWendyが喘鳴の話をしました。また食べ物とか飲み物に関心がなくなってしまった人は薬を飲み込むことができなくなることがよくあります。
こういった肉体的なものもありますけれども、同時に心理的ないろいろなサインとか、あるいは証言能力の有無といったようなことも重要なサインだと思います。−意識がなくなってもう痛みが感じなくなっているだろうと予想されても、やはり鎮痛剤は投与すべきですか。
Andrew 患者さんがもう痛みがないだろうと私が思うということとは別問題として、患者さんが痛いということを言えないかもしれないので、鎮痛剤はそのまま患者さんに続けて投与するようにしています。
−意識がなくなっているような状態というのはたいてい相当血圧が下がってきているような状態なものですから、さらにモルヒネなんかを投与することは死のきっかけになるということをちょっと躊躇することがあります。
Andrew 私はそうは思わないのです。私は意識がなくなる前の痛みの刺激のレベルというのは意識がなくなったあととそれほど変わらないのではないかと仮定しています。ですからその仮定に基づいて鎮痛剤を与えるレベルというのは意識がなくなる前と同じレベルに保つけれども、その投与する経路を変えるようにしています。もしも患者さんがいずれにせよ死ぬという軌道に乗ってしまっているような場合、そういう場合には患者さんと双方向のコミュニケーションができなくなってしまったからといって、投薬のレベルを変えるというのは論理的ではないと思うのです。それから患者さんの状態をよく見て患者さんに不快感がないかどうか、何か苦しいような状態がないかどうかはできるだけ読み取れるように患者さんの状態は注意して見るようにしています。意識のない患者さんであってもうなるような感じになったり、ちょっと痛いようなしぐさをしたりというようなことがあると思いますから、そういったものを捉えると不快な状態であるかどうか、痛みがある状態かどうかを知る手がかりとなると思います。
日野原 いよいよ亡くなるときには、意識がなくなると若い人の瞳孔は広くなるのですが、年をとればとるほど瞳孔はなかなか広くならない、年をとると縮瞳になるのです。ですから瞳孔だけでは判断できない。けれども血管音が聞こえなくなる、ですから聴診では血圧が測れない、触診だけでしか最高血圧を測れないとなると、もう間もなくですね。そういう時には皮下はもう薬を吸収しません。

 

 

 

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